1−2 聖書の構成

 聖書は、旧約聖書と新約聖書の2部からなりたっています。ここでいくつかの誤解を解

いておきましょう。まず、「旧約」と「新約」とは「旧い契約」と「新しい契約」の略の

言葉だということです。別の表現ですと「古い約束の聖なる書」「新しい約束の聖なる書

」ということになります。契約は約束ということですが、だれとだれかと言えば、神と人

間との、約束=契約なのです。では、旧いと新しいの区別はどうしてするかは、イエス・

キリスト(以下イエスと言います。)の誕生の前と後を基準にしていることです。イエス

の誕生の前後で、紀元前と紀元後に区別していますが、紀元前に成立したのが旧約、紀元

後が新約といっていいかもしれません。

 

 ちなみに、BCとは、BeforeChrist(英語でキリストの前)ADとはAn

noDomini(ラテン語でキリストの後)なのです。したがって、旧約とは、イエス

の誕生前=イエスの現れる以前の、神と人間の契約であり、新約はイエス以後の神と人間

の契約になります。したがって、2つの契約とみるより、1つの契約を2面からとらえた

ものと言えば、正確かもしれません。

 

 ちなにみ、旧約聖書は、もともとユダヤ教の聖典でもあるのです。ユダヤ教はユダヤ人

=現在のイスラエル人の民族宗教とも言うべきものですが、したがって、ユダヤ教を信じ

る人は、旧約聖書とはいわず、ただ、聖書といい、現在でもそうです。もともと、旧約聖

書は、ユダヤ民族が彼らの信じる神との約束の書として聖書を読み、とくに、律法(いず

れ説明します。)を重視し、それをトーラーと名づけて日々愛読し、それ以外にタムロー

ドという膨大な解説書を読んでいます。

 

 しかし、キリスト教は、ユダヤ教の聖典を自分たちに取り入れ、新約聖書を完成させ、

いわば、新旧を一つ聖書として、完成させたのです。イエスは言いました。「わたしが来

たのは律法や預言書を廃棄するためと思ってはならない。廃棄するためでなく、成就する

ためである。」(マタイ5−17)この律法や預言書とは、当時のユダヤ教の聖書をさし、

それが、旧約聖書なのですが、これと、イエスの死後完成する、新約聖書で聖書を成就=

完成するといったのです。

 

 ではおなじ聖書をもとにあったものが、なぜ、ユダヤ教とキリスト教は分離したままな

のでしょうか。それは、イエスの評価にあります。聖書、ここでは混乱を避けるため旧約

聖書としますが、それは、人間の最終の目的である救いにつき、神は人間との契約をつう

じ、かならず将来おこなう、これを救いの預言と言いますが、これをテ−マにしたのが旧

約聖書なのです。

 そして、その救いを完成したのが、イエスで、新約聖書は救いの完成書、難しくいえば

、救いの実現成就を現した書が、新約聖書ととらえます。 新約聖書は、「イエス・キリ

ストは、主であり、神の子である」(コリント12−3、使途の働き8−37)とする信

仰が共通のテーマです。イエスを救い主(メシヤといいます)とみとめることから、はじ

るのです。しかし、ユダヤ教は、イエスを救いの完成者、救い主とみません。したがって、

かれらにとり救いは未完成で、いつか、救い主がくると信じているのです。しかし、キリ

スト教は、イエスよって、すでに救いは完成したとみて、新約聖書と旧約聖書を連続した、

一つの聖書とみています。したがって、旧約、新約は、大きく「救い」をテーマにして、

一つにまとめた書ととらえています。

 

 ここで、もうひとつの誤解について。それは、キリスト教のカトリックとプロテスタン

トの大きな2つの流れのなかで、とくに前者を旧教といい、後者を新教と言う場合があり

ますが、旧約聖書と新約聖書もそれに繋がっているのではと思っている方がおられことで

す。キリスト教は旧約、新約の2つをあわせ、聖書としているので、カトリック、プロテ

スタントを問わず、新旧両聖書を聖典にもちいていることに違いはありません。ただ、カ

トリックでは、現在は聖書以外も聖典に用いて、例えば旧約聖書の続編として「第2正典

」を新旧両聖書とおなじ価値をみとめていますので、厳密にいえば、少し異なるのです。

 

 ちなみに、カトリックとは西暦313年にローマにおいてキリスト教の信仰の自由がみ

とめられ、380年国教となったのですが、イエスの弟子ペテロの直系弟子の教皇(法王

という場合もあります)を頂点とするとる流れです。ローマカトリックと言う場合があり

ます。なお、カトリックは、ローマ帝国の分裂にともない、いわゆる東と西(東方教会と

西方教会)に分裂しますが、本書は、プロテスタントの立場から書かれていますので、そ

の辺の歴史は無視しています。

 

 かたや、プロテスタントとは1517年、マルテイン・ルターの「95か条の提出」に

はじまったの宗教改革から生まれた流れです。従来のローマカトリックに対して「抗議す

る者」から出た呼び名とされています。カトリックに対して、1、人間の救済は信仰のみ

、例えばカトリックのように免罪符を買えば天国へ行けるとはしない。(もっともカトリ

ックは現在では、この考え方はとっていませんが。)2、聖書66巻のみ、それ以外の聖

典をみとめない。3、万人祭司制、聖書を信じる者すべてが祭司とする考えで、教皇の存

在をみとめない、教会の頭はイエスとするものです。そしてこの2つが現在のキリスト教

の2大潮流となっているのです。

 

 

 

        同じ幹(聖書=旧約聖書)から発生したが、枝別れした。

     ユダヤ教

     キリスト教

    聖書(旧約聖書)

     救いの預言

     旧約聖書

     救いの預言

 イエスを救い主と認めない

  聖書は旧約聖書のみ

  十字架の救いを認める

  イエスによる救いの完成

  新約と旧約の2部で完成

     救いの未完成

     救いの完成(成就)

 

 

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