4−2 モーセと十戒
 
 1、モーセと十戒という表現は、非常に誤解されやすいので、ここで、あらためて確認
します。十戒とは、神がモーセをとおして人間に対して与えられた戒めで、その基本、ま
たは要約です。けっして、モーセが私たちに与えたものではありません。したがって、聖
書では、勿論モーセの十戒とは言いいません。じつは十戒と言っても、番号があって、1
から10というわけでもありません。10の戒めを後で順に便宜上、番号をつけただけで
す。
 
 では、その10の戒めを見てみよう。さきほど、モーセがシナイ山で二枚の板に10の
戒めを刻まれたと説明しましたが、一枚は1〜4に、もう一枚は5〜10の戒めを書かか
れたと、されています。しかし、これまた、便宜上、そのポイントのみをあげ、全文は省
略します。殆どの解説書がそうなっているので、許されるでしょう。
 
「1、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
 2、自分のために、偶像をつくってはならない。
 3、主の御名をみだりに唱えてはならない。
 4、安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
 5、父と母を敬え。
 6、殺してはならない。
 7、姦淫してはならない。
 8、盗んではならない。
 9、隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
 10、隣人の家のものを欲しがってはならない。
                           (出エジプト記20−2〜17)
 
 2、じつは、1〜3、5、9、10のそれぞれの冒頭には「あなたには」「あなたは」
「あなたの」とそれぞれ、「あなた」の言葉がありますが、これまた便宜上省くことにし
ます。十戒はわれわれ一人一人に与えられたとみるべきでしょう。
 
十戒は、1〜4の前半と、4〜10の後半にわけることができます。前半は神と人間の
関係を現し、神に対してとるべき道が定められています。後半は人間同士の関係を現し、
人に対してとるべき道が定められています。前半は「心をつくし、精神をつくし、思いを
つくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ22−37)、後半は「自分を愛するよ
うにあなたの隣人を愛せよ」(マタイ22−38)に要約できるとしています。十戒を手
短に説明しょう。    
 3、戒めの1つ目ですが、これは神が唯一絶対的な存在であることを宣言し、「わたし
のほかに神はいない」とのことをまず、最初の戒めとしているのです。日本人のごとく、
あれこれ自分の都合でいろいろな神をつくったり、拝んだりすることは、どうなるのでし
ょうか。
 
 戒めの2つ目は偶像の禁止です。偶像礼拝は最後は人間礼拝につながること、神から大
きく離れることになるからです。聖書は特にそのことに対して、「ねたむ神」の表現を用
いて、偶像礼拝に対して、「三代、四代にまで咎(とが)=罪をおよぼす」と警告してい
ます。偶像礼拝はあとに出てくるサタンとの契約だととらえる考え方もあります。聖書は
一つ目の戒めとならんで、偶像礼拝を禁止しています。偶像の満ち満ちでいる日本はどう
なるのでしょうか。偶像に無頓着な日本人はどうなるのでしょうか。
 
 戒めの3つ目は神にたいする姿勢を要求しています。神を軽んじてはいけない。神に真
摯で敬虔な姿勢が必要です。神を信じる者は惰性に流されず、神に対峙(むかいあう)す
るときは、一回一回真剣な態度が要求されます。日本人のように、神社仏閣で有り合わせ
の賽銭をなげいれ、家内安全、商売繁盛、とわずかな時間手をあわせる態度などはどうな
るのでしょうか。
 
 戒めの4つ目は安息日とは、神がさだめられた休息日です。神は創世記で6日をもって
天地万物を創造し、7日に休まれたことからきています。最初は土曜日が安息日でしたが
、現在は日曜日が安息日になっています。しかし、7日のサイクルで、一日は神の前に静
まって、その一週間を反省する日、その一週間を感謝することを神が求められたのです。
日本人のように日曜祭日お構いなしに働きつづけた結果がどうなったかは、現在の我々が
一番実感しているのではないでしょうか。なお、イエスの時代にこの安息日をめぐって、
イエスと律法学者の激しい論争がありますが、その箇所で説明します。ちなみに欧米では
ラ−キ−セブン等7のつく数字がよくありますが、この4つの戒めのところから来ている
のです。
 
 戒めの5つ目は人間関係の中心についてのことです。人間関係の基本の親と子は、子が
成長して、親をはなれて結婚し、夫婦の関係を築くまでの、家族の最小の構成体です。親
と子は、神と人間の関係を考える時のモデルになります。なぜなら、親と子の関係は代償
がないからです。人間関係はかならずなんらかの代償があります。金をはじめ有形無形の
代償行為のもとに成立しています。しかし、親と子の間には、代償がありません。無償で
す。神は無償でわれわれ人間を愛しておられる。
 
 したがって、父母を敬うことは、神を敬うことに通じます。神がなければ人間はありま
せん。親がなければ今の自分はありません。神は愛です。親もまた愛です。神は特に「そ
の齢がながくなるため」と父母を敬うことに、褒美を用意され、ひいては、神を敬うこと
を勧めておられます。現在家庭の崩壊が世界で叫ばれていますが、その最も顕著な例が日
本ではないでしょうか。
 
 戒めの6つ目は人間の尊厳についてです。神が愛してやまない人間、高価な代償(イエ
スの十字架)をもって買い取られた命を大切にすることの勧めです。現代はなぜ、人を殺
してはいけないのですか、とあらため問われ、またその問いに答えられない程、道徳倫理
が乱れ、乱れた世の中になっています。人は殺してはならないと、神が命ぜられているか
ら、と答えることが要求されるのです。
 
 人間の哲学や理性やはたまた文学で、人の命の値打ちは考えることができません。人は
人間の命を作ることができません。神のみです。殺すなとは神の命令です。神が作った人
間を殺すことは神に対する反逆であり、神を冒涜することになるのです。日本の新聞テレ
ビで殺人事件が報道されない日はありません。現在の日本は殺人が日曜茶飯事になりまし
た。日本ほど命の軽い国はないのではないでしょうか。
 
 戒めの7つ目は人間関係の中心である夫婦についてです。夫婦は子孫の誕生と繁栄の基
礎となるものです。もちろんそのなかには、男女のセックスが入らねばならないが、人間
を神がつくった人格の対象としてみることを第1に見ることが前提になっています。セッ
クス自体を目的にしたり、まして片方の男女(特に女性)を性の対象としか扱えないとす
れば、どうなるのでしょうか。人間を性の対象物としかみれないとは、その人格の無視、
人間としての尊厳無視につながるのではないか。
 
 神は人間を性の対象とのみ扱ってほしくない。そんな軽い存在ではないのだ、との思い
が戒めにはいっているのではないでしょうか。それにしても、現在ほど、この戒めが破ら
れている時代はありません。聖書に出で来る、あの頽廃と不道徳に満ち満ち、神の怒りで
硫黄で焼き尽くされたソドムとゴモラの町、日本がそうならないとだれが断言できるでし
ょうか。不倫賛美、不倫奨励のテレビ雑誌があふれる日本をソドムとゴモラでないとだれ
がいえるでしょうか。
 
 戒めの8つ目は他人の所有に対する心がまえです。所有権は各自保証されています。人
のものを欲しがるのは、自分と他人を常に比べるからです。足らないから他人のものをも
しがるのです。今、ある状態を感謝すれば、他人の物を欲しがらない、手をつけない。小
さな万引きから、国が他国のものを奪うことにいたるまで、現在の自分の物で満足しない
物質に対する飢餓心や欲望からきています。現在の日本の家々には、物が満ち溢れている
のに、まだ足りないのです。日本の家の洋服ダンスや冷蔵庫は物で溢れかえっているのに
 戒めの9つ目は嘘に対しての戒めです。小さな嘘は大きな嘘をうみます。日本には嘘は
泥棒の始めという諺がありますが、嘘はすべての悪事のはじめです。また、嘘はまた自分
に対するだけでなく、他人に対するものが、あります。全て嘘=欺きは悪事の始めなので
す。嘘は嘘を生み、それは連鎖して拡大する性質がある。日本は政治家や企業家などがあ
まりよく頻繁に嘘をつくので、嘘に対する抵抗力がなくなっているのかもしれませんが。
 
 戒めの10こ目は物の所有に対する戒めです。自分の所有物に対する感謝と他人の所有
物に対する尊重です。人間の所有欲には限りがありません。限度がありません。人間の恐
ろしいまでの欲望。持っていれば持っているほど欲しくなる欲望。その代表がお金。いま
在るお金で感謝しなさい。それをどう活用するか考えなさい。貯めるばかりでなく活用、
利用を考えなさい。そうすれば、他人の物をほしくはなりませんよ戒めているのです。日
本人ほど隣人を、向こう三軒両隣と意識する国民はあまりないのではないでしょうか。
 
 
 
 

      旧約聖書による10戒          
                            
  1、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。 
  2、自分のために、偶像をつくってはならない。    
  3、主の御名をみだりに唱えてはならない。      
  4、安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。     
  5、父と母を敬え。                 
  6、殺してはならない。               
  7、姦淫してはならない。              
  8、盗んではならない。               
  9、隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。    
  10、隣人の家の物を欲しがってはならない。      
・             (出エジプト記20−2〜17) 

 
 
 
 

   10戒に見る律法の原則 (マタイの福音書22・36〜40)

        神との関係

        心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。10戒(1〜4)

律法の原則 

律法全体と預言者とが

この2つ(神との関係・隣人との関係)にかかっている            のです

        隣人との関係

        あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。

10戒(5〜10) 

1、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

神に対する忠誠  

5、父と母を敬え。

2、自分のために、偶像をつくってはならない。

神と造られたものとの峻別、聖別

6、殺してはならない。

7、姦淫してはならない。

8、盗んではならない。

3、主の御名をみだりに唱えてはならない。

神への誠実

9、隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

4、安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

神への感謝、満足

10、隣人の家の物を欲しがってはならない。

 
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