10−2 イエスの奇跡
 
 1、聖書の奇跡で切り離せないのが、イエスの奇跡です。イエスの活動から奇跡を取り
除けば単なる偉人の伝記にすぎなくなります。ここでもう一度奇跡について考えましょう
。聖書でいう奇跡はまず、人間の手による奇跡を問題にしないことです。聖書の奇跡は神
の奇跡についてです。イエスは神です。だからイエスを人間とのみとらえる見方からは説
明できませんし、また、する必要もないというのが聖書の立場です。「神のことばは生き
ていて、力がある」(ヘブル4―12)からだとするのです。
 
 ここでイエスと奇跡との関係を、少し違った角度から、とらえて見ましょう。イエスの
奇跡は、4つの福音書に書かれていますが、この福音書は、12弟子(マタイ、ヨハネ)や
その他の弟子(マルコ、ルカ)によって書かれたことは、定説になっています。そして、
この福音書は、イエスの死後、昇天してから、割合短期間(イエスは西暦30年〜33年死に、
それから約30年後に最初の福音書が出来たとされています)のうちに書かれたことも、
現在では、多くの聖書学者によって明らかにされています。ここで、まず、福音書はイエス
のことについての目撃証言が基になっていることです。したがって、イエスの弟子たちが、
仮にウソのことを書いたとすれば、したがって、イエスの奇跡をウソのデッチ上げをかいた
とすれば、どうなっていたかです。
 
まず、1に言えることは、彼ら弟子たちは、いずれも旧約聖書を読み、信じ、其のうえ
で、イエスを信じていたバックボーンがあります。旧約の律法、そのうち10戒の一つ、
「うその証言をしてはならない」ことも、当然守ったはずです。かれらが、そのそれを無
視して、ウソのことを書くことは、彼ら自身が自己矛盾を犯すことになります。第2に目
撃証言に対する反論です。すでに述べたように、福音書の事実の目撃は、イエスのことを
知っていた、信者だけでなく、信じていなかった反対者もいたはずです。もし、書かれた
ことが事実でなければ、反対者とりわけ、ユダヤ教徒の中から事実でないとの反論がでた
はずですが、それも歴史の記録にはありません。まして、4人の異なった記者が、異なっ
た角度から福音書を書いているので、当然数多くの目撃者がいたはずですが、これらの人
からの反対の証言はなかったのです。すなわち事実だったからです。ここで、事実につい
てですが、福音書には、彼ら(弟子たち)の不利になるようなことが多く書かれているこ
と、事実性を高めます。弟子の筆頭のペトロがイエスを裏切ったことなど、もし弟子たち
がウソを書こうとするといくらでも、自分たちに不利なことを書く必要がなかったのです。
かれらは、本当のこと、真実しか書けなかったのです。
 
最後の第3ですが、目撃証言は事実だったこと、真実だったことには、弟子たちや、それを
信じる者の命がかけられていたことをあげなければなりません。福音書が出来る過程で、
ローマを中心にクリスチャンに対する、迫害や弾圧があったことです。とりわけローマ皇帝
ネロの迫害はすざましいのもので、クリスチャンとわかっただけで死刑がまっていました。
そんなか、福音書が完成されますが、もし、福音書の中身にウソがあれば、ウソのために
人間は死ねるかということが、問われます。それも、少人数ではありません。死をかけても
守ることは、それが真実、まことと言えるからではないでしょうか。もちろん、自分の身を
守るために、命がけでウソを言う人は今もいますが、自分といわば関係のないことで、その
事実のために命をかけることは、それが真実だからこそと言えます。人は他人のウソのために
命はかけられないからです。
 
 2、イエスは数々の奇跡をおこないました。なんの目的からでしょうか。人々をあっと
いわせたかったのでしょうか。それとも喝采を浴びたかったからでしょうか。イエスの奇
跡は自己顕示や自己礼賛をうけたかったからではありません。あくまで目的は、人の救い
のためでした。イエスは「この書では書かれていないが、まだほかのしるしをも弟子の前
でおこなった。しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであるこ
とを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたを信じて、イエスの御名によっていの
ちを得るため」(ヨハネ20-30)に奇跡をおこなうのです。
 
 しるしとは奇跡をさします。奇跡はイエスこそ救い主であること、それを信じれば救わ
れることをあきらかにするためだったのです。苦しむ人を見逃せないイエスの愛もその奇
跡のなかにみることができます。また、イエスの奇跡の特徴はそのほとんどが、言葉によ
ってなされていることです。「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあった。こ
とばは神であった。」(ヨハネ1-1)イエスの奇跡はいわゆる魔術的な方法では行いま
せんでした。いつも簡単なことばや動作によって行いました。そして、その結果を他の人
に見せないようにされました。イエスが喝采をうけるのてなく、神が喝采=賛美をうける
ためです。これを教会では神に栄光を返すと表現していますが、目に見える出来事を、目
には見えない神の栄光=出来事ととらえたのです。
 
 3、イエスの奇跡は非常にバラエテ-に富んでいました。イエスの奇跡はまず、(1)
は病人に対して、(2)は悪霊に対して、(3)自然界に対して、(4)は死人に対して
です。
 当時は現在とはことなり、大した医学的技術も進んでいませんでした。したがって、金
のある人はともかく、多くの人にとり、病気にかかることは、死を意味していました。ま
た、なにより病気そのものを、汚れたものとして忌みきらう風潮がありました。イエスは
当時不治の病とされていた病気を治しました。この病気を治すことを「癒し」という言葉
で、聖書は表現しています。現在は癒しのブ−ムですが、元祖癒し主はイエスだったので
す。
イエスは、悪霊に対しても、其の力を示されました。また、自然界にも、そして最後は人
間が絶対克服できない、死に対しても、奇跡を起こされるのです。
 
4、なお、ここで、いわゆる従来の聖書で用いられてきたのいわゆる「差別語・
不快語」の問題に触れておきましょう。例えば以前聖書で使われていた「めくら」
「おし」「つんぼ」「ちんば」等の言葉は、「目の見えない(人)・盲目・盲人」「口
のきけない(人)」「耳の聞こえない(人)」「足の不自由な(人)」などに変更され、
またはしなければならないということです。もちろん神の言葉である、聖書が人間
を差別することなどありえないことですが、翻訳上の制約等の理由により、いままで
使用されてきたのです。
 
また、「らい病」もその一例です。これは、現在日本の公的機関が、ハンセン氏
病という病名に変更していますが、聖書は、むしろその表現は適切でなく、原典の
ヘブル語「ツァラアト」・ギリシャ語「レプラ」に相当する日本語を見いだすこと
は困難だとして、ツァラアトは重い皮膚病という意味がありますが、翻訳しずら
いとの認識から、例えば新改訳聖書の3版からは、翻訳せず「ツァラアト」という
表現にしています。しかし、このように訳語を改めても、人の心が変えられない
限り、また、神の前で悔い改めない限り、それが再び新たな差別語や不快語になり
得ることを我々は心に切り刻んでいなければならないでしょう。
 
テキスト ボックス:     聖書の記載によるイエスの奇跡(4つ福音書に記載がある)
      1、王室役人の息子、ヤイロの癒し。    
         2、38年の病気の人の癒し。       
         3、ペトロのしゅうとめの癒し。      
        4、ツアラアトを清める。          
      5、中風の人を癒す。           
      6、片手のなえた人を癒す。        
        7、百卒長の僕を癒す。          
        8、二人の目の見えない人の癒し。          
 病人に   9、耳が聞こえず口のきけない人の癒し。  
 対して   10、ベッサイダの目の見えない人の癒し。       
       11、エルサレムの目の見えない人の癒し。       
       12、18年の病気の女の癒し。       
       13、長血の女の癒し。           
       14、水腫の病人の癒し。          
       15、10人のツアラアトの癒し。       
       16、目の見えないバルテマイの癒し。        
         17、祭司長の僕の耳の癒し。   
          1、会堂での癒し。            
        2、目の見えない人につかれた霊の癒し。       
 悪霊に     3、ゲサラでの癒し。           
   対して   4、口のきけない人の癒し。        
        5、ツロ・フニキャヤの女の癒し。     
          6、てんかんの息子の癒し。   
           1、カナで水をぶどう酒に変える。     
          2、カペナウムで大漁。          
       3、別の大漁。              
 自然に   4、嵐をしずめる。            
  対して   5、5000人の給食。          
       6、水の上を歩く。            
       7、4000人の給食。          
          8、納入金。               
          9、枯れたイチヂクの木。         
          1、ヤイロの娘のよみがえり。       
 死人に     2、やもめの息子のよみがえり。      
    対して  3、ラザロのよみがえり。




 

 
 
RETURN
inserted by FC2 system