8−2 黄金律
1、山上の説教のなかには、いろいろな有名な言葉(聖句)がありますが、そのなかで
、とくに黄金律とよばれているものがあります。黄金の律法を短く呼んだものです。ゴ−
ルデンル−ルとも言われています。それは、「それで、何事でも、自分にしてもらいたい
ことは、ほかの人にもそのようにしなさい。」との言葉です。続いて、「これが律法であ
り、預言者です。」(マタイ7−12)とあります。これが律法であり、預言者です、と
いうのは聖書(この時点では旧約聖書)すべてを一言でまとめればという意味なのです。
ルカの福音書には、「自分にしてもらいたい望むとおり、人にもそのようにしなさい」
(6−31)と別の表現で同じ内容の言葉が載っています。共通することは、人からして
ほしいと思うことを、そのとおり人にもしてあげなさい、と言うことです。イエスは別の
箇所で「受けるよりは、与える方が幸せです」とも言っています。人間の常識の世界では
、まず自分ありき、ですからまず受けることを第一にするのは、当然です。
2、また日本では、自分がして欲しくないことは他人にするな、の戒めの言葉があります
が、するなと消極的ではなく、しなさいと積極的な働きかけを求めるのです。聖書が日本の
道徳や倫理とは違い、つねに前向き、肯定的、積極的な教えで、何々するなではなく、何々
せよとすすめるのです 。聖書の教えは常に前向き、肯定的、積極的、このような理由から、
その言葉を求めて ビジネスの世界では聖書を座右の書としている人がおおいのです。加え
て言うなら、聖書の前向き、積極的な考えは、ビジネスの世界を中心に行動のモチベ−ショ
ン=動機づけに大いに用いられています。仕事をするうえで元気が出、勇気が出、前にすす
めるからです。
また一時もてはやされた、いわゆる成功哲学=成功するノウハウ等もその元ネタ、種本
は聖書にあるとは周知のこととされています。ビジネスや成功を秘訣を聖書から求めるの
は、それ自体否定すべきことではありませんが、ただそれだけを求めるのはあまりにも、
聖書を一面的、部分的にしか読んだことになるのではないでしょうか。このようなことを
さして、イエスは「豚の前に真珠を投げてはいけません」(マタイ7−6)と言ったのか
もしれません。あの有名な豚と真珠の話です。豚とはお金だけを求める人、真珠とは聖書
のことでしょう。ここで、聖書のいう成功と、一般に言われている成功はどのように異なっ
ているのか、考えてみてください。
3、常識を変えなさいと、イエスは説くのです。人間関係の世界では、対等の関係をもと
めます。50%と50%の関係です。そして、相手から何かをしてもらったときにその見返
りをするのがつねです。しかし、ギブアンドテイク(giveandtaeke)の言葉に
あるように、まずgive=与えることから始まるとするのです。山上の教えで説くように、
神の愛、恵みがこれほどおおきのだから、もう恵みは十分だろうからだからまず自分でなく、
まず他人からというのです。もう自分=わたしは十分に幸せで恵まれているから、次は、
他人=あなたですよというのです。聖書の教えは、いつも人間の常識でおしはかることは
できません。
4、律法と預言者(旧約聖書のことです。)のなかで、大切な戒めはどれかとたずねられた
とき、イエスは「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せ
よ」「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(マタイ22−36・申命記6−5
、マタイ22−39・レビ記19−18)とその時は旧約聖書の申命記とレビ記の箇所引
用して答えられました。そして、「律法全体と預言者とが、この2つ戒めにかかっている
」(マタイ22−40)と付け加えられました。
また、パウロはガラテヤ書のなかで「律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のよ
うに愛せよ」という一語をもって全うされるのです」(5−14)と述べています。とい
うことは、黄金律とは、神を愛し、人を愛することが究極の結論になるといえるでしょう
。そしてこれは天国での基本的な生活基準になるのでしょう。福音と愛とは同一の意味が
あるのです。
黄金律の応用(聖書の言葉ではない) |
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